技能士の雑記

学校や会社で服装・髪形に規則があるのは何故か、理由を考える会

お世話になります。きり彦です。

4月に入り 新たな期がスタートしましたね。

さてこの季節、何かと自分の気持ちや雰囲気を 変えたくなりがちな季節でございます

私の周りでも 『見た目からでも明るくなりたい』『目立ちたい・気合い入れたい』『皆がやっているから』など、

考えは様々な事と思いますが 個性的な服装や髪形にされている方を たくさん 見かけます

 

またそういった光景を見て 新人君や若手の方からは、

学校の服装ルール意味分らんかったっスよね」

「きり彦さん的には 何で学校でピアスとかダメって言われるんだと思います?」

などの話題も振られがちな季節でもあります。

ということで、今回のテーマは『学校や会社で服装・髪形に規則があるのは何故か』です。

教員でも何でもない 一個人の意見ですので 話半分にでも見ていただければと思います。

よろしくお願いします。

学校や会社で服装・髪形に規則があるのは何故か

因みに私が 「なんでピアスとか駄目なんですか?」と 後輩君に聞かれたら、「なんで駄目なのか が 分かっていないから駄目なんです」と答えてます。

いや、じゃけぇ何で駄目やねん!?と言われてしまいますが・・・。

感覚的な話

身内でのやり取りにはなりますが、自由を訴える後輩君に、

「じゃあ今度 飯 行こうや。ワシこんな服装で行くさかい。」

キラキラアフロのハッピーなファッション

「親友の様に仲良く接したるけんね☆」と言うと、大体笑われたり、勘弁してくださいよ、などと言われてしまいます。(たまに乗り気な子もいます)

「キミはワシの”自由”を笑うんか?押さえつけるんか?」

いやいや、限度があるでしょ。話すり替えようとしてません? といった感じで 話は続くのですが、この『限度』が問題です。

 

それでは皆様の通っている学校・会社において 下の画像のどこまでが限度だと思いますか?

服装規則

上半身裸で マイクを持ってやってくるのは流石に・・と思う方が多いのではないでしょうか?

製造業に就かれている方は サングラスの兄やんくらいならまぁ…って方も居られるかもしれません。

では上半身裸マイク男と サングラス兄の境界はどこにあるのでしょうか

いや、服は着ろや と思われた方、一番右のキラキラアフロさんは服を着ているからOKですね?

全てを許容できる方は自由を叫んでも良いのかもしれません。

 

何が言いたいかというと、服装に限らず 人が許容できる限度には個人差があるという事です。

「茶髪や両耳にピアス1個ずつ ”くらい” なら・・」という人がいる一方で、

「俺からすると全然地味。もっと腕にシルバー巻くとかさ」という髪の色が金・黒・赤の方や、

「髪の色で遊ぶのが自由か?」「親から貰った体に穴をあけるな」という価値観の方、様々おられます。

服装・髪型の自由を叫ぶ 事と同じように、それを見た人がどう思うかも自由なのだと思います。

自由にする人がいる 傍らで 不快な思いをされる方も居られるかもしれません。

自由であることと 勝手で秩序の無いことは違います。どこかで線を引く必要があります。

 

じゃあその境界や線引きはどうすんの?

それではここから 服装などのルールがある理由について もう少し具体的に考えてみます。(あくまで私個人の意見です)

企業・学校のイメージ

企業にせよ学校にせよ お客様や地域の皆様に持って貰いたい イメージがありますよね。

企業のイメージは 売上に影響しますし 採用にも関わってきます。学校についても 地域からの評判と考えると似たようなものですね。

そのイメージについて 何処までなら許容できるか、また学校なら どのような人間に育ってほしいか みたいなところで線を引いているのでは と思います。

見た目でイメージを決められるなんておかしい と言う方も居られるかもしれませんが 印象で物事を判断する 自由と権利も また存在するのです。

この辺りは 時代によっても変わるかもしれませんね。

最近は ジェンダーレスとも言いますし 男女の性差はなくしてもいいんじゃないかとは思います。

また頭髪の色は人によって違いますし、身体的な特徴 (例えば深い火傷の跡があったりだとか)によっては 企業や学校に交渉する権利はあって当然かと。

安全面・衛生面

頭髪や服装の乱れは 災害(怪我)に繋がります

「それって実際ホントなん?」と聞かれる事がありますが 過去にそのような災害があったからそんなルールが決まってます。

この辺りは 企業や・学校の責任のとれる範囲で決まっている感覚があります。

同じ製造業でも 帽子被って 髪が長ければ束ねて 服の中に入れる と言うところもあれば、帽子とかなくてもええよ ってところもあります。

食品関係など 衛生面が厳しい所は 服装も厳しくなってそうですね。

いじめ や 事件を助長する可能性も

ちょっとした見た目の違いや 流行りのゲームを持っているかなど、こんなことでも いじめに発展するケースがあります。(こども・大人問わず)

特に学校での いじめは 学校側の責任問題になったりもします。(見て見ぬふりをする人もいるのは放っておいて)

責任の取り方なんてものは 結局のところ 大人でも分かっている人は 少ないんじゃないかなと思いますし、出来るだけそういった事態は避けたいんじゃないかなと思います。

大人の都合かよ と思われる方も居られるかもしれませんが 自由を主張するのなら その結果について 責任を持たないといけないと思います。

ただ現実的には 未成年に社会的責任を負わせるわけにはいきませんよね。

また 見た目が派手で 先輩に目をつけられるケースや 染毛剤を買うお金が無くて 万引きなどの事件にもつながるケースもあります。( こども・大人問わず)

教育的な視点

服装規則について 疑問を持つこと自体が教育、という見方もできますね。

人間の自立って、

1:人に従う

2:疑問を持つ(自由を得ようと考える)

3:自分で考え行動を決める

こんな感じで進んでいくのだと思うのですが、このような規則というところから 疑問を持ち、

モラルや責任やTPOなどの視点を含め、あるべき・ありたい姿とは何か を考え 行動につなげて貰いたい という教育者の思いがあるのかもしれません。

おわりに

お疲れ様でした。今回は『学校や会社で服装・髪形に規則があるのは何故か』について考えてきました。

今回は 規則がない場合のデメリットっぽい話になりましたが、 勿論 自由にすることのメリットも沢山ありますし 今回挙げたこと以外にもデメリットは沢山あります。

自由とは その意思決定に対して責任を持つ 事である とも言えると思います。

『自分が そうしたいのは 何故か』『なぜ そうしては ならないのか』メリット・デメリット双方から考え モラルある行動をしていくのが大事だと考えます。

そういった意味で 私の意見として 冒頭で述べました 「なんで駄目なのか が 分かっていないから駄目なんです」 に繋がるわけでございます。

 

今回は以上になります。

お読みいただきありがとうございました!

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